人柄って、生まれつき?環境のせい?
「人柄は生まれ持ったものか、それとも育った環境で決まるのか?」
日常の会話やSNSでも、よく見かけるこの問い。
実は私も、ずっとモヤモヤしていました。
これまでの人生を振り返ってみると、「あのときの経験があったから、今の自分がある」と感じる瞬間がいくつもあります。
私は3人兄弟の末っ子で、父は単身赴任。ほぼ母子家庭のような環境でした。兄たちは部活、母は仕事。私は家の鍵を持ち、放課後はひとりで過ごすことが多かったです。
大きなトラブルもなく、自由にのびのび育った記憶があります。
でも、それが「環境」の影響だったのか、それとも「自分の選択」だったのか。
今になって思えば、子どもながらに小さな判断を積み重ねて、今の自分をつくってきたようにも思います。
家庭環境が人柄に与える影響は大きいと思っていた
子どもの頃は、両親の考え方や口ぐせ、兄たちとの日常がそのまま「当たり前」になっていました。
「挨拶はしっかり」「人の話は最後まで聞く」「年上には敬語」など、今の自分にも根づいている基本的な姿勢は、家庭から自然と身についたものです。
母親の買い物に付き添い、車中で母の職場やご近所の話を聞く。いつの間にか「聞き役」としての立場も身につきました。
その延長線で、小学生のときに町内の祭りの設営や片付けを手伝い、お小遣いをいただいたのは今でも記憶に残っています。
“親以外から初めて報酬をもらった”という小さな成功体験でもありました。
一方で、父との記憶は少ないですが、はっきり覚えているのが「人に迷惑をかけるなよ」という一言。
短いながらも、私の中でずっと芯になっている言葉です。もちろん実際は、誰かに迷惑をかけてしまっているんですけどね。
社会に出てから、「当たり前」が人によってこんなにも違うのかと驚くことが多くなりました。
同じ家で育った兄弟でさえ、まったく性格が違いますから。
学校・職場・友人関係。人は“環境”で変わる?
10代、20代、30代…年齢とともに自分を取り巻く人間関係も立場も変わっていきます。
20代の私は、とにかく「ガンガン働いて結果を出す」ことが正義でした。
でも30代になって部下を持つ立場になり、求められるコミュニケーションや価値観は一気に変わりました。
友人関係にも変化があります。遠くに住んでいるのに、なぜか会いたくなる人。
距離があるからこそ定期的に会いたいと感じる不思議なつながり。
仕事を通して知り合った方々とも、年齢や役職に関係なく、今でも関係が続いています。
一緒に悩み、ぶつかり合い、支え合った仲間たちです。
ただ当時の私は、結果を出すことだけに必死で、言い方も選ばず、部下を傷つけてしまうこともありました。
退職者が出るたびに「自分の伝え方はこれでいいのか」と悩むようになり、そこでようやく“伝え方の大切さ”に気づいたんです。
そんな自分を支えてくれた仲間や、そっと寄り添ってくれた先輩・後輩。
「俺ら今が踏ん張り時なんだよ」って語り合った幼なじみ。
環境によって変わるというより、「自分の人柄が環境を呼び寄せている」のかもしれない、とさえ思いました。
じゃあ“育ちが悪い”って言葉は何のためにあるの?
個人的にはあまり好きな言葉ではありません。
冗談で言うことはあっても、あくまで場を和ませる目的です。
「育ちが良い」「悪い」って、誰が決めるんでしょうか?
礼儀やマナーはもちろん大切ですが、それが少し欠けていたからといって、その人の“人柄”すべてを否定するのは違うと思っています。
むしろ、過去の自分と向き合い、変わろうと努力している人のほうが、よっぽど“育ちが良い”のではないかと感じることもあります。
まとめ:人柄は環境“だけ”では決まらない
「人柄は育った環境で決まるのか?」
私の答えは、「Yesでもあり、Noでもある」です。
育った環境がその人に与える影響は大きいけれど、最終的にどう生きていくかは“その人自身の選択”によって変わるもの。
そして、今の自分の人柄もまた、これからの環境や出会いで変わっていきます。
誰と過ごすか、何に触れるか、何を選ぶか。
これからも、それを大切にしていきたいと思っています。