SNSで伝わる人柄・伝わらない人柄

『人柄による人との関わり方の違い』

「人柄って、SNSに乗るのか?」
「誰にも届いていない気がするな…」
X(Twitter)でも、ブログでも、反応はゼロ。数字は10や20程度。
インプレッションすらほとんど回らず、コメントもまったく付きません。この状況が続くと、自分の存在意義が問い直される。
私の投稿が他の人たちにとってどれほど重要なのか、または共感を呼ぶことができるのか、疑問に思う日々です。しかし、SNSの世界は時に冷たく、膨大な情報の中に埋もれてしまうこともしばしば。
その中で、果たして本当に人柄は伝わっているのか、それとも単なる数字のやり取りだけの関係になっているのか、考えざるを得ません。真のつながりを求めながらも、孤独感に苛まれる瞬間が増えているのが現実です。

そんなとき、ふと不安になります。
「自分の“人柄”って、誰にも伝わっていないんじゃないか?」と。

このシリーズでは、“人柄”という曖昧だけれど確かなものについて書いてきました。
そして今回は、その「人柄」がSNSで本当に伝えられるものなのか?について、現在進行形で模索している自分自身の視点から綴ってみたいと思います。

同じようにSNSで発信している方や、ブログで頑張っている方に、少しでも届けば嬉しいです。

数字が“ゼロ”だと、心も揺れます


SNSでの発信は、ある意味“数値化された人間関係”だと感じています。

・インプレッション数
・いいね数
・コメント数
・フォロワー数

すべてが目に見える形で表示されます。そして、その“数字”が低いと、どうしても自分の価値まで低く感じてしまいます。

たとえば、投稿してもインプレッションが10や20だと、「誰にも見られていないじゃないか…」と思ってしまいます。
コメントが一つもつかないと、「自分の発信って、誰の興味も引けていないんだな…」と落ち込みます。

これは、まさに今の自分自身の正直な感覚です。
Xもブログも、数字的には厳しい状況です。だからこそ、どれだけ「人柄を伝えるぞ!」と意気込んでも、反応がなければ自信はすぐに揺らいでしまいます。

でも、ここで一度立ち止まって考えたいのです。
「人柄って、そもそも数字に出るものなのでしょうか?」

伝えようとするほど、遠くなる paradox


本気で書いた言葉がスルーされて、ふとした軽い一言が伸びる。
そんな理不尽な現象は、SNSではよくあります。

伝えたいことがあるからこそ、言葉を選び、時間をかけて投稿する。
しかし、そういった投稿に限って、まったく見られなかったりします。

一方で、なにも考えずに投稿したような何気ない一言が、予想以上にインプレッションを稼ぐこともあります。

これはいったい、どういうことなのでしょうか。

一つの仮説として、SNSという場そのものが「深いものを求めていない」という側面があるのかもしれません。
スクロールしながら流し見される世界で、「真剣な言葉」は時に“重たすぎる”のかもしれません。

とはいえ、だからといって「浅くすれば届く」というわけでもありません。
人柄というものは、“軽く”すれば見えなくなるものです。このあたりが難しいところだと感じます。

人柄が“伝わる投稿”には法則があるのでしょうか?


「どうすれば、人柄は伝わるのか?」

これは、今まさに自分が悩んでいるテーマです。
だからこそ、自分がSNSで「この人いいな」と感じた投稿を振り返ってみました。

✔ 感情を押し付けず、それでもにじみ出るような人柄がある
✔ 言葉に余白があり、読み手に考える余地を残している
✔ 「オレがオレが!」ではなく、「あなたも、わかるよね?」という目線がある

つまり、“自己主張の強さ”ではなく、“距離感のうまさ”が鍵なのではないかと感じています。

人柄とは、にじみ出るもの。
あからさまに出すと重くなってしまい、隠すとまったく見えなくなる。
その「にじませ方」こそが、SNSでは特に難しいのだと思います。

コメントゼロでも、見ている人はいる(と信じたい)


発信を続けても、反応がまったくない。
それが何日も、何週間も続くと、本当に心が折れそうになります。

けれども、少し視点を変えて考えてみたいと思います。
反応がない=誰にも届いていない、とは限らないのではないでしょうか?

実際、自分自身も誰かの投稿を見て「いいな」と思っても、いいねやコメントをせずに終わることがあります。
“そっと共感”しているだけで、何のアクションも起こさない。そんなこと、ありませんか?

つまり、見ているけれど反応していない人は、確実に存在しているはずです。
“静かな読者”は、間違いなくいるのだと思います。

だから、「コメントゼロ=ゼロ人」ではないのです。
もしかしたら今日も、誰かが静かに読んでくれているかもしれません。
それを信じて、書き続けるしかないのだと思います。

焦るときほど「人柄」は削れてしまう


今、8月8日までに収益化をしたいという目標を掲げています。
正直、少し…というか、かなり焦っています。

この焦りが、SNSの投稿にもにじみ出てしまっていないか、不安になる瞬間があります。

「反応が欲しい」「読んでほしい」という気持ちが強くなると、発信内容が“媚び”に変わってしまうことがあります。
本当は伝えたいことがあるのに、「バズるにはどうすればいいか」と考えてしまい、発信の方向が少しずつ歪んでしまう。

結果として、“自分らしさ”や“人柄”が削れていってしまうのです。

焦りという感情は、文章からも伝わってしまいます。
読み手は、意外とそういった空気感に敏感だったりするのです。

今、自分は少し自信を失っています。
でも、だからこそ「素の自分」で書くことの大切さを思い出したいと思いました。

この記事は、そんな自分自身へのメッセージでもあります。

【まとめ】SNSで「人柄」を伝えるということ


SNSは、人柄が伝わりにくい場所です。
流れていく、見られない、数字で評価される。
それでもなお、“人柄を伝えたい”という気持ちがあるからこそ、私は発信を続けています。

反応がないからといって、必ずしも伝わっていないとは限りません。
ただし、伝えることをやめた瞬間に、“伝わる可能性”はゼロになります。

だから、私は今日も書きます。
誰かが読んでくれていると信じて。
自分の人柄が、文章から少しでもにじみ出ることを願って。

そしていつか、
「この人、なんかいいな」と思ってくれる誰かに届いたら、それが一番嬉しいです。